災害に強い家づくり

日々の出来事

おはようございます、CRAFTの大島です。

昨日で阪神淡路大震災からちょうど25年が経ちました。6343人の方が亡くなった

とても大きな震災で、発生時刻が朝5時46分ということで当時中学生だった

私は朝起きてニュースを見て驚いたことをつい昨日のことのようにはっきり

覚えています。

阪神大震災で亡くなられた方の死因の9割以上が家屋倒壊による圧死だったことを

受け、住宅の耐震基準が見直されました。その後も大きな震災が何度か続いたことで

耐震基準は家を建てるうえで大きなポイントになっています。最新の耐震技術を用いて

丈夫な家を造るのが当たり前の時代ですが、構造計算がなかった時代、

「大工さんの腕だけが頼りの家づくり」の時代がありました。家づくりには「経験と勘」が必要で

昔の大工さんは木が育った場所やその形を見て直感で「これをどこにどう使ったら家が強くなる」と

いうことを判断しました。教本や方程式があるわけではないので

「木の材質と組み方次第で木造住宅はとても強くなる」ということを師匠のやっていることを

見よう見まねで吸収していくしかありません。その土地に合った建て方、

その土地に合った素材を選ぶことで自然の脅威にも負けない頑丈な家を作ることが

出来たんだと思います。

東日本大震災で最大浸水高19.3mという大きな津波被害を受けた宮城県気仙沼市。

その気仙沼湾に面した階上地区・最知で唯一津波に流されなかった家があるそうです。

それは『大工さ佐藤仁さんが建てた家』なんだそうです。

この最知地域で唯一流されなかった家は、海から50mほどの海岸沿いに建つ入母屋造りの邸宅。

東日本大震災当日は、巨大津波が高さ約4mの防波堤をやすやす乗り越え周辺の建物を

飲み込んで1階天井部分まで浸水し、ガラス窓や障子等が破られたものの、

家自体は傾くことなく津波の威力に耐え残ったそうです。

佐藤さんは岩手県・陸前高田市が発祥とされる「気仙大工」と呼ばれる大工さんの一人。

津波が多い地域で育まれた経験と勘を極限まで高めたまさに「伝説の大工」なのです。

耐震基準もさることながら、改めてこのような大工さんの技術を継承することも

住宅業界の務めだと思うのです。

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